こどもって実は…つぶやき

子供ってすごい!日米欧の育児をみて思うこと書いてみました。

今週のお題は「もしもの備え」

★「もしもの備え」といえば、もしもの地震

東京は、やはり良く揺れる。

いくら地震に慣れているとはいえ、激しい縦揺れにはちょっと焦る。

台風は、頑丈なコンクリートのマンション住まいの上の階では、そこまで気にしないけど、地震はやはり怖い。

だから、「もしもの備え」は重要だ。

 

★高校時代の地学の先生から学んだこと

高校の授業はよく寝てしまっていた私も、小さな目を大きく開いて聞いたのが地学の授業。当時、東大の地震研究所に所属していた講師の先生は、一風変わった中年女性。

お茶の水博士の女性版といったイメージ。

髪は大爆発の後のように、ボサボサで、洋服も流行など全く気にしないわが道を行くタイプの先生だった。

 

そんな先生が、最も熱く語るのは地底の層の交わりと、それが要因で起こる地震について。

活火山の富士山を眺め、あの下の層が…と想像していた私も、やはり先生に負けじと風変りの女子高生だった。東大の地震研究所といえば、世界の地震研究でも先端で各国が一注目する研究所だ。そこから来た先生が、東京で大震災が起こる確率など教示するから、とても現実的だ。

 

でも、残念ながら多くのクラスメイトの心には、私ほどこの地学の先生の訴えは響かなかった様子。

とっても興味深った地学の先生の話を、必要以上に真剣に聞いたおかげで、私の地学の成績は、パーフェクトだった。

いい先生との出会いに感謝する。

 

★大震災に備えて、地下鉄で通学の日々

想像力豊かな高校生の私は、地震時の避難経路も考えた。

先生いわく、東京では皇居だ一番安全だとか。

自分の家の危険度も先生が、見てくれたりして、とても面白かったこの地学の授業は、高校時代の授業で最も役に立った気がする。

 

★直後:停電のためのライトと冷静な判断

当時、東京の都心に住み地下鉄で、郊外の高校まで通っていいた私は、もし今東京で大地震が起きたらと、この先生の地学以降いつも想像していた。

 

そして、地下鉄で地震直後に予想されるのは停電について考えた。

まず学生バッグにいつも小さな懐中電灯キーホルダーなどを付けるのは必須にしていた。

そして、停電になったらまず、手すりを使って荷物棚に登り寝転がり、安全を確保しようと考えた。

東京でも、都心から郊外の学校に通う場合、満員電車とは逆方向で、そういう動きも可能な営団地下鉄日比谷線に感謝し、まず落ち着いて行動と考えていた。

パニック状態で、人が出口に押し寄せられ、ドミノ状態で負傷者がでることも、予想されるからと巻き込まれないようにと、冷静に考えていた16歳の私。

 

★やっぱり食べものは大事!

飲み物と、チョコもいつも欠かさず学生バッグに入れていた。

雪山で遭難した人が、チョコで3日生長られたとか聞いて、非常食はやはりチョコと思った。

そして何故かソーイングセットと、バンドエイドもケガのために持ち歩く。

 

★防災リュックは、取りやすい場所に常備!

当時は、iPhoneなどもなく位置情報確認もできなかった、私の高校時代。

自分に何か起こった時に備えて、親の勤務先の電話や、家族の名前と連絡先を紙に書いて防水のクリアファイルに入れる。

衛生用品や下着と、小さな石鹸、タオルなども忘れない。

サランラップが意外と役立つとか、携帯ラジオも入れてみた。

そして、非常食だが、当時MILKAチョコレートにはまっていたので、小さくて溶けない駅の売店で買ったこのチョコをいつも蓄えていた。

乾パンは美味しくないので1個で十分。氷砂糖は結構好きなので、中袋で準備。

そして、なぜかツナ缶?を入れていた。

さらに水のボトルや着替えを入れるとズッシリ重いが、ちゃんと走って逃げれる重さに保って用意する。

 

★ペット用品も「もしもの備え」の中に

我が家では、セキセイインコを二匹飼っていた。

もし地震が来たらペットフードを買いに行けないし、餓死させたくないと思い、可愛いこの2匹のエサもちゃんと袋に入れて、リュックに入れて備えていた。

いざとなったら飛んで行ってしまうかもしれないけど、もはや家族の一員なので。

 

そして、このリュックを背負い、もしもの時は可愛いうちの鳥の入った鳥かごを抱えて非難する予定でいた。

 

大人になって考えたら、ちょっと足りないなと思う当時の「もしもの備え」。

でも、地震に対しての意識だけは異様に高かった高校時代。

だから、地震のための「もしもの備え」は、今でも家族に教示している。

若干、呆れられるけど…